Last Update Thursday, April 12, 2007

足立 典正 ギャラリー

 ここは特に、典正氏の作品を紹介するページとします。個展の様子については別ページがございますのでそちらをご覧下さい。新しく追加した作品を上から展示していきます。制作された順番とは限りませんので、ご了解下さい。
 尚、オリジナルにつきましては既に売れてしまっているものもございますし、非売品の場合もございますので、詳細につきましてはアトリエテンセイまで直接お問い合わせ下さい。 電話&ファックス 053-596-1523
典正氏の作品と、寄せられた文章
あづま焼

あんとクリームあつあつをほうばればあづま焼のあったかさとやさしさがしみます。根強い人気でみんなに愛されている、みどりや支店(磐田市内)

天ぷら屋さん
Maisan 2005/10/08(土) 01:00:28

3年前に初めてやった個人商店をテーマにした個展「今も昔も元気な町」展。その一回目に、当時一番の人気を誇った浜松市竜禅寺町にある「天ぷら屋」さん。四捨五入すればもう90歳に近い大石おばあちゃんが美味しく揚げてくれる天ぷらは本当に美味しかった・・、冷めても美味しかったですね。

その大石おばあちゃまが、高齢からとうとうお店をお止めになる事になりました。伺ってお話を聞いてきましたが、やはり今迄よく頑張ってやって来て下さったなあ・・と思うばかりです。

もし自分がその年齢になったら・・と思うと、全然自信はないですね。

本当に懐かしく、温かい味の天ぷらでした、この時期からお芋も美味しかった・・。泣けますが、ただただお礼を言うばかりです。

「大石さん、今迄本当にありがとうございました!そしてご苦労様でした、おばあちゃんの味は忘れません。これからもどうぞお元気で、今迄ゆっくり出来なかった時間を、ゆっくりお過ごし下さい。」

6月の子守唄
投稿者:Maisan ...2005/06/06(Mon) 23:33

昔「ウィッシュ」と言う女性二人がが歌っていた、6月の子守唄と言う歌を思い出すのはこの頃です。

不思議と、「もとまろ」のサルビアの花もこの頃思い出します。6月に結婚されるかたが一時とても多かったのではないでしょうか?

梅雨時もなんのその、6月に結婚すると幸せな花嫁になる・・、と言われました。「ジューン・ブライド」憧れですね(^^)

この時期に結婚された、あるカップルを私は知っている!!さて、それは誰でしょうか?

えっ?一杯いるだろうって?

そこはね、この掲示板で時々出て来てくれるご夫婦です(^^)

さて、当たった方には先着順で、Tensei氏の新作を刷ったポストカードにサイン付きを先着5名に!結構好きな絵だなあ・・。

締め切りは明後日までです(笑)

ちなみに、これに載せてある絵は違いますよ。

ある結婚式場の協会です。これも当てたら偉い!

「ツボヤ」
投稿者:Maisan ...2005/05/16(Mon) 13:14

今回の紹介は、その店が無くなってしまうと聞いた4年前に私が主人に頼んで描いてもらった、個人商店の初期の頃の大事な絵です。
浜松市内にあった、NTT裏のもう一本北に、その喫茶店はありました。名前は珈琲プロダクション「ツボヤ」と言います。

昔は粋なおじいちゃまとおばあちゃまがやっていらっしゃいました。
私が初めて連れて行ってもらったのは、まだ小学生で3年頃ではないかな?かなり昔です(笑)
店内は長細い造りで、カウンターが縦に伸びている状態。席がそのカウンターに沿って並んでいるため、後ろを通る時は必ずお客さんに「すみません」と言いながら奥に進むと言う店でした。

そこの珈琲は当時珍しい自家焙煎で、とても濃い焦げた(失礼)味が印象的な大人の味だったですね。そこの看板はウインナ−珈琲と手作りのホットケーキ。ミックスを使うのでは無く、あくまで自家製。ふわっとしているのに、歯ごたえがあり、小麦粉の味がちゃんとして、それにつける生クリームも一回一回ちゃんとその場で泡立ててくれていました。

カウンターの中が丸見えなので、それも見ていて退屈しない時間だったように覚えています。ヤカンから漏れる蒸気の中で、老夫婦が絶妙なやりとりをしながら珈琲とホットケーキが差し出されます。「カップ取って下さい・・」と言うおじいちゃまの声を今でも覚えています。

おじいちゃま亡き後は、娘さんが継いでやっていてくれました。ホットケーキも健在だったし、夏のアイス珈琲は絶品だったです、邪道かもしれないけど、ミルクとシロップを入れて飲むと絶妙な味で、嫌な雑味は無く、飲んだ充実感もありました。おばちゃんと呼んでいた娘さんは、とても無愛想な女性で、自分の気に入らないお客様には笑顔一つ見せた事ないかもしれない?って思っていた位ですが、中身はとても情がある女性でした。何時の間にかお店は閉じられ、いつ行ってもやっていない状態が続き、とうとうこの絵を描いてくれた時には、「再開発地域指定」の為の取り壊しが決まってしまったとの事でした。

良いお店でした、無くしてほしくないお店だった。そんなお店が浜松には一体どれ位あったのでしょうね。

Re: 「ツボヤ」
Tensei ...2005/05/17(Tue) 11:40  

泊りがけでスケッチに行ってきましたが、僕がいない間に、例の絵とうとう出したねまいさん。

ツボヤへの思い入れは強いから、いつか出すんだろうな、と思っていたけどね。

僕も一緒に行っていました、本当に懐かしい、強い珈琲の香りと、ホットケーキの優しい香りは疲れた体に優しかった!またできるもんなら食べたいよ

一休み
投稿者:Tensei ...2005/05/06(Fri) 12:51

「ハイライト一つ」「はいね、」と、お店番のおばあちゃんの声が聞こえると、いつもの一日があった気がします。 コンビニや自動販売機があって、特別何の不自由もない時代ですが、「タバコ屋」さんと言う、タバコはそこで買う物だ。と言う時代が確かにありました。 八百屋さんでも、どこでも、やはりそこで買うから良かった時代があったのですね。 人がいるから安心して、人のいる所で交わす挨拶があるからホッとする時代があります。 これからも人のいる場所で買う事を心掛けたいと思うのです。「一休み、一休み」一休さんも言ってたですからね(笑)

Re: 一休み
Maisan ...2005/05/09(Mon) 14:05

私の父は左官職人でした、午前10時と午後3時にはピッタリと休憩を取る人で、それは休みの日でも変わりありませんでしたが、タバコは「しんせい」でしたね。今は懐かしい名前のタバコです。

Re: 一休み
Masae Fujita ...2005/05/09(Mon) 23:54

私の父は表具師(まだまだ現役)。そして母も表具師、でした。愛知の人なので朝は喫茶店でモーニング。たばこは吸わない父ですが、午後は仕事が一段落すると社交的な母と口数の少ない私を連れてよく喫茶店にいきました。父は口下手で寡黙な職人気質。でも娘と犬には優しい(笑)、そして甘い。

母のおしゃべりを聞きながら娘を連れてコーヒーを飲むことが父にとっての心休まる「一休み」だったのかな?  

お店の顔
川原展樹 ...2005/05/10(Tue) 07:09

八百屋、駄菓子屋、銭湯、そしてタバコ屋・・・お店の「顔」がちゃんと存在していた時代ですね。四十年近く経っても、近所のタバコ屋のじいちゃんばあちゃんの優しげな皺くちゃ顔は、不思議と覚えてるもんなぁ。銭湯の番台の思いっきりヤクザ顔の(〜_〜メ)おっちゃんも。

私の父はハイライトもしくはルナ(←オフホワイト基調でシンプルなパッケージデザインは、子供心にイカすと思った記憶あり)後年はマイルドセブン党。チビのころ人見知りかつ「ル」の発音が苦手だった私は、おつかいでルナを買うのに店頭で大汗かいたのも、自販機では味わえない古き良き思い出です。「子供にタバコを買わせるなんて!」と今なら不謹慎な話でしょうが、当時はそれもアリ(^_^)

Re: 一休み
Tensei ...2005/05/11(Wed) 00:00

ウナですか〜、そうですか。川原さんが小さな口を精一杯開けて、「う、うナください」とか言っていたのかな(笑)見たかった一コマですね。

藤田さんのお父様は愛知の方だったんですか、そうですねあちらのモーニングサービスは素晴らしいと思います。

喫茶店で一時を過ごす文化は最高ですね。

昔は、浜松も名物喫茶店で賑やかだった頃があったのですが・・。

今はもうない「ツボヤ」「肴町のせつむら」「ジタン」「ナイフ&フォーク」「サンレモ」まだまだありました。どこで待ち合わせしても楽しかった。

そうそう、タバコ屋さんの中には、駄菓子を置いているお店もありましたね。タバコ屋=駄菓子=日常品=おばあちゃん

昔のお店には、すべて=で語れる人との繋がりもあり、思い出せば懐かしいですね。

井田商店
投稿者:Tensei ...2005/05/02(Mon) 11:54

雄踏町の中で今も元気でやっていてくれる、昔懐かしい八百屋さんです。

果物、野菜は新鮮で、一個からでも買えて、何なら味見もさせてくれる時もあります。

「元気だっただかね?」「元気だよ〜」「あの人この頃顔見んねえ」「明日は保養(旅行)行ってくるだよ〜」「あはははは!」

何気無い会話がいつもホッとさせてくれます。

一体いつから物を沢山買って、冷蔵庫に貯め込んでしまう時代になってしまったのでしょう?

毎日買いに行って、おなじみの顔と挨拶を交わし、その時の新鮮な物をその日の分だけ買う事も、今は結構新鮮だと思うのは変でしょうか?

Re: 井田商店
Fujita Masae ...2005/05/02(Mon) 23:28  

幼い頃、明治生まれの祖母に育てられた私は、典正さんの絵を見ると、その祖母と住んでいた頃の景色をそのまんま想い出します。周りの景色、木造の建物、夕焼けの色、そよ風を感じる風景、すべてがあの頃と同じような気がします。

当時はスーパーなんてなくて井田商店さんのような八百屋さんが祖母の町にもあって。プラスチック容器ではなくて青いざるかごに入ったデラウェア。今はほとんど種無しだけど、当時は種があって。。。

コミュニティが崩壊してしまった今は無機質なコンビニやスーパーでマニュアルに則った対応に安心する世代も増えてしまったのでしょうね。実際、私もスーパーやコンビニのレジでは相手の目を見ていないし、もちろん会話もしない。用事だけ済ませばそれでいい。そんな無機質な自分…。

だから無意識のうちにどこか心のオアシスを求めて居心地のいい場所を探そうとするのかもしれませんね。

先日、典正さんのアトリエで感じたことがあって、典正さんの周りにいる人たちはみんな「土」だなぁって。やわらかくて、お日様の光と暖かさをポカポカと併せ持っていて、どんな水もスッと吸い込んで、やがて若葉が芽吹いて、たくさんのいろんなお花が楽しげに咲いていくような、そんな「土」。ここ1年ほど私の周りは「コンクリート」でした。日が当たれば熱くなりすぎて、雨が降れば表面は濡れてもすぐ乾いてしまう。けっしてそれ以上のひろがりはない、そんなコンクリートの人たちに知らないうちに囲まれていて。。。私自身もそうなってた。今回のアトリエでの空間が「楽しい」と心から思えたのは自分が欲しているのは、やっぱり「土」だったんだなぁって、典正さんの夕焼けの絵を見たときと同じ感覚になりました。それでも心がスッキリしないのはコンクリートの鎧を脱いでいない自分がいるからかな。。。そんなことを感じながら、五月になりました。

アトリエの光
Tensei ...2005/05/03(Tue) 00:55  

僕がいつも感じることの一つに、僕の周りには僕自身を理解してくれる人が、少なくともいてくれると感じられる事です。

僕がどう勝手な事を言っても、どんなひどい事を言ったとしても、それは僕のカラーだからと理解してくれる人がいてくれると言う安心感があるのです。

そして、その勝手な僕の頼みを理解してくれて、あのアトリエは生れました。

丁度5年前です。僕の為に仕事があっても深夜遅くまで開場を作り上げてくれたおっちゃん、省五さん、吉田さん、窓を取り付けてくれた真矢君、そして進午。ただの倉庫だった所を蘇らせてくれた内田商店の皆さん、個展がある度生花を気使ってくれる山本夫妻、高橋夫人、備品の心配をいつもしてくれた山田君、連日差し入れを持って来てくれる僕の母さん。そして僕の理解者、妻と娘。

書き出したら、まだまだ書き切れない程の人達の協力の下、毎年毎年、何かをやると言う言葉だけで、何も言わずとも集まってくれました。

あのアトリエには、僕だけではない人達の「心からの気持ち」が溢れている場所なのです。

妻が最初に言ってくれた事に、アトリエに絵を見に来てくれた人に、帰る時は疲れて帰ってほしくない。絵をどこの場所で見ても、ゆっくり自宅にいるような気持ちで、くつろいで時間を過ごしていってほしい、そんな場所を作る事で、僕の絵が心のどこかにゆっくり残ってもらえれば、と。

もとから文化意識の少ない地域で、ゆっくり絵画鑑賞なんてしてもらえる訳は無かったのですが、やればどこからともなく集まってくれる人達もいて、嬉しさで心が震える時もありました。

そんなアトリエに来てくれて、最初に演奏をしてくれた安田君のギターの響きは、今でも忘れません。綺麗な、本当に綺麗な音色に、心が静かになったのを覚えています。

この5年で、アトリエには色々な人達が集まってきてくれました。それは、僕がそうなったらいいな・・と考えていた空間を、影で支えてきてくれた人達がいたからこその結果だと、今も思っています。アトリエは温かい訳ですよね・・、来て下さった方々が気持ちを一杯残していってくれているのですから(^^)

また良かったら、ゆっくりアトリエに遊びに来て下さい。妻が復帰して、やっと正常な場所に戻りましたよ(笑)

カレーハウス
投稿者:Tensei ...2005/04/28(Thu) 23:20

浜松市内にある、昔からカレー屋さんと言えば「ブータン」でした。僕はやはり妻から教えてもらい、二人で行ったものです。

一階はカウンターのみ、二階も狭い階段を登るとボックス席が数席。カレーを頼むと、小さなエレベーターで送られてくるのです。

僕らはカツカレーが好きでした、食べ終わると小さなアイスも付いてきました。昔はそれが嬉しかった・・。

今も健在で、近くを歩く度「寄ってこうか」となる店の一軒であります。

一枚の絵で、色々な思い出が交差して行きますね。もう戻らない世界は確かに思い出でしかないのですが、それでも、それがあるから今を生きて行ける気がするのです。

カステラ饅頭
投稿者:Tensei ...2005/04/27(Wed) 10:09

今日は良い天気です、これからスケッチ日和なので、励んで行きたいと思います。

そう言えば、アトリエ展初日にある方から頂いたお菓子は、浜松市鍛治町にあるカステラ饅頭の「秋芳堂」と言う、地域では有名な所の物なのですが、何と持って来て下さったのは?

中身が「黒粒餡!」でした。

その頃病床(笑)の妻がそれを見るや否や、「これは松菱カステラじゃな〜い」と、メソメソ泣いていたのを思い出しました(笑)

昔から中身は「白餡」だったそのお菓子、時代の変化と共に、色々な角度でお客さんの好みを模索しようとしているお店の姿勢が伺えました。

僕は黒餡も美味しいとおもうけどね、まいさん。

その当時描いた、「カステラ饅頭の秋芳堂」です。


絵と典正氏 + 寄せられた文章

どんな時も。

Maisan  No.77 2005/10/18(火) 23:40:27

ある一日、携帯電話を忘れた典正さんの所に連絡があり至急の用事との事。

急いで依頼の絵を描いている場所を探して見つけた時、彼は銀行の駐車場の「夜間金庫」の前に陣どって、ひたすら描いていました。

勿論銀行に描く場所の許可をいただいてです(^^)

描いている姿をたまに目撃されますが、実際に見られている方は少ないと思います。

どんな時も、どんな場所でも、天候が変わらない限り彼は現場で描いています。

それがたとえ少しの時間しか無くとも、その場の空気を大切にするのはそこの場所への礼儀かもしれないと最近見ていて思うのです。

アトリエにて
投稿者:Maisan ...2005/05/20(Fri) 18:26

最近の天気は暑かったり、涼しかったり、寒かったりと中々微妙ですね。体調を崩される方も多かったのでは?

アトリエにて描く時もあり、外は良い天気なのに?と思いながらでも、時々迷って入ってくる「燕」とか、猫とか、外から聞こえる鳥の鳴き声は良いBGMです。

そう言えば、来月一杯で雄踏町も浜名郡から浜松市になってしまうのです、何だかこのまま大きな一塊の市になることに、少々違和感があるのは、最近目に見えて開発が進んでくる雄踏の田舎は、もう昔を想像させません。

人が集まり、人が動く事は良い事だとは思いますが・・、いつかこの町も、使い捨てのように周りの人々から飽きられる時もあるのだと言う思いも、危機感のように持っていた方が良いと思います。花火のように咲いて、花火が散った後のように、人は離れていく。そんな町を各所で見てきた気がする。

その後には何も残りません、悲しいですが。

Re: アトリエにて
Tensei ...2005/05/20(Fri) 22:22  

最近どんどん夜の灯りが多くなっている雄踏を見ていると、まいさんじゃないけれど一抹の淋しさを覚えるのですよ。

程々と言う言葉は、今はもう死語なのでしょうか?もう少し待ったをかけて、町の半分は「里山構想」のように、田舎と町の共存を訴えて欲しいと思います。

今水田が目に眩しいほど綺麗です。

一年で一番、どこの田舎も「田んぼの海」が出来る季節です。どうぞ皆さん、散歩をしながら楽しんで下さい。その節は、小さなペットボトル一本位は持って行く事をお薦めします。

ホッと一息
投稿者:Tensei ...2005/05/14(Sat) 16:55

皆さん盛り上がってますね(笑)

僕もTVがまだ無かった頃を知っていますから、当時の感動は、結構今の制作のベースになっているかもしれません。

今額装に出す前の作品が仕上がりました、ちょっとホッとして一休みしている時間は最高です。







さんらいふNo.289の一面(上記2005年2月18日号)はさんらいふ編集部の許可を得て、掲載しています。
へのお問い合わせは下記までお願い致します。
さんらいふ 静岡県静岡市追手町7-1 
TEL.054-251-7029 FAX.O54-253-5734
E-mail sanraifu@seikox.co.jp





高原ヒュッテ


積志町の高林薬局


生きる 200号を越える大きさの作品 2004年


少年と子犬 2004年夏バージョン


少年と犬 Tシャツバージョン(実寸)




下記では、浜名湖博パンフレット「庭めぐり」用に描いた足立典正氏の絵を紹介します。
絵のオリジナルにつきましては、典正氏に直接お問い合わせ下さい。



庭めぐり 1 世界の庭・日本の庭



庭めぐり 2 魅せる庭



庭めぐり 3 暮らしを楽しむ庭



庭めぐり 4 こだわりと提案の庭


[足立 典正、浜松百撰の表紙を飾る]


1年間に渡って紹介してきましたが、今号で最終回となります。
絵のオリジナルにつきましては、売れてしまっているものもありますが、典正氏に直接お問い合わせ下さい。













手焼き煎餅松山商店 (山下町)

中に入ると、昔ながらのガラスケースに入ったおせんべいに目が行くのです。
手焼きのせんべいを主に揃えていらっしゃいますが、
ごません、しょうゆ焼き、くりせんべい、きざら糖のかかったもの、「ああ、日本人に生まれて良かった!熱いお茶とせんべい」 それさえあれば幸せですよね。「一枚下さい!」と言える店がまだ残っていました。


浜松百撰2004年12月号(通巻565号)の表紙(山下町の手焼き煎餅松山商店)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。











ビストロ・ド・ターバン(常盤町)

ビストロと言えば「ターバン」!!
浜松では老舗のお店です。
焼けたレンガとしっくい壁、ワインの香り、そしてフランスの田舎の風情。
美術鑑賞の後には最高のぜいたくかな!!


浜松百撰2004年11月号(通巻564号)の表紙(常盤町のビストロ・ド・ターバン)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。

 ←ビストロ・ド・ターバンのホームページへは左からお入り下さい。












ギャラリー汎 ひろ (富塚町)

浜松市佐鳴台の端正な住宅街に建つギャラリー。
色々なジャンルのアーチスト達の発表の場でもあり
「今日は何をやってるだろう?」と楽しみなお店でもあり、
ホッと落ち着けるティールームもあったりと、理想の空間を演出している場所です。
オーナーは笑顔で迎えてくれる気さくなマダム、さあ、今日は何をやっているのでしょう!


浜松百撰2004年10月号(通巻563号)の表紙(富塚町のギャラリー汎)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。











乾物屋ヤマキ(板屋町)

浜松駅北の問屋街で中心的な役割を果たしてきている名物乾物屋さん。
毎日信じられない程の人で賑わっていてとても活気があります。
妻が昔母親と浜松の街中に遊びに連れてきてもらったとき、
松菱とこの乾物屋さんがメインだったそうです。
「浜松の顔」そんな店を出来ればどこまでも残してほしいと切に願います。


浜松百撰2004年9月号(通巻562号)の表紙(板屋町の乾物屋ヤマキ)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。











理容ダンディ(雄踏町)

ここを通る度に幸せになります。
ボクの子供の頃からずっと同じ風がこのお店には流れているようです。
ゆっくり、ゆっくりと時が流れ、今に至っているのです。
ゾリゾリとカミソリの音、シャカシャカとハサミの音、シュウシュウとヤカンの音。
時を刻むのは懐かしい音だけです。
とこ屋さんと言うと、気持ちよくてつい寝てしまった子供の頃を思い出します。


浜松百撰2004年8月号(通巻561号)の表紙(雄踏町の理容ダンディ)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。


仲の良い足立家ではありますが、人知れずこのような場面もあるようです。
「やりゃーできるぢゃん」と典正氏に言われつつ手紙を書くまいさん。












喫茶店ポン(松城町)

朝十時開店と共に集まる常連のお客さん達。
粋なハットを被った紳士、写真が生き甲斐で店に飾ってもらっている人、
ここに毎日顔を出すのが一番の楽しみの女性の方々。
浜松美術館前に出展して四十年以上の間、常連のお客さん達に支えられて今までやってこれました、と
素敵なマダムが笑顔で言っておられました。


浜松百撰2004年7月号(通巻560号)の表紙(松城町の喫茶店ポン)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。











ロシア料理のサモワァール
       (平田町−なめだちょう)


「なめだの踏み切りの近くだよ!」と言えば昔は通ったのです。
昔から美味しくて、通わせていただいた思い出深いお店です。
ボルシチ、ピロシキ、つぼ焼ききのこ(シチュー)、酢漬けの前菜、ロシアティー、
「味は変わらないなあ…」と言う安心感はさることながら、
二代目の息子さんの熱意には、このお店を好きなんだ、と言う想いで溢れていました。
これからも行くのが楽しみです。



浜松百撰2004年6月号(通巻559号)の表紙(平田町のロシア料理のサモワァール)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。


足立家とのサモワァール訪問は最高に楽しいです。美菜視ちゃんも一緒に行けると良いのだが。
左から美菜視ちゃん、典正氏、まゆみ夫人の三人。典正氏はこういう絵も得意なのである。


 ←サモワァールのホームページへは左からお入り下さい。












クロケット亭 おくちゃん(上島)

クロケットとはロケットの親戚ではありません、実はコロッケの事です。
おくちゃんの看板がとても親しみやすく、チャーミングで目につくお店です。
一生懸命誠実に働くご主人の姿からは、
子供の頃よく食べたコロッケの美味しさを思い出しました。
バラエティ豊かに取り揃えたメニューはどれもボリューム満点です。


浜松百撰2004年5月号(通巻558号)の表紙(上島のクロケット亭 おくちゃん)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。



送られてきた浜松百撰と共に同封されていたハガキの絵。
左から典正氏、まゆみ夫人、一人娘の美菜視ちゃんの絵。家族皆絵を描くのである。












トミヤコーヒー(紺屋町)

浜松にコーヒー文化を広めて六十年。
コーヒーにうるさい人を一言で黙らせる程
筋の通った先代だったそうです。
よく妻は「トミヤのキリマンが飲みたくなるなあ」と
そう言えば言ってたっけ。


浜松百撰2004年4月号(通巻557号)の表紙(紺屋町のトミヤコーヒー)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。











入谷蒲鉾店(砂山町)

「砂山銀座」と呼ばれる場所に、ここはあります。
学校出てから「この道一筋」でやってこられたご主人のお人柄か、
どれをとっても人情味のある味で思わず泣けます!
人に喜んで頂けるのが何より、と
ご主人はおっしゃいます。


浜松百撰2004年3月号(通巻556号)の表紙(砂山町の入谷蒲鉾店)を掲載しました。
キャプションも典正氏の筆によるものです。











文化堂印刷(板屋町)

何十年も使い込んだ
油まみれの印刷機が頼もしそうに店の真ん中に座っています。
お店の方が慣れた手つきで文字を探して、
きれいに並べていました。
明るい奥さんときさくなだんなさんが時の流れの中で輝いていました。


浜松百撰2004年2月号(通巻555号)の表紙(板屋町の文化堂印刷)を掲載。
キャプションも典正氏の筆によるものです。











丸義商店(入野町)

いつも元気な奥さんがお店の看板です。
店の中に一歩入ると、そこは「掘り出し物の宝庫」
まるで30年も前に戻ったような商品が
奥にはさん然と輝いています。
ボクは数年前今時珍しい「ペリカンポット」を見つけて買いました。


  

 

浜松百撰2004年1月号(通巻554号)の表紙(入野町の丸義商店)と、1〜3ページに掲載された典正氏の記事を掲載しました。
浜松百撰は、浜松百撰会に加盟されているお店で手に入ります。自分でお店に取りに行けば、無料です。

このページの浜松百撰の表紙は『浜松百撰』の許可を得て、掲載しています。

浜松百撰会ご入会・広告ご掲載・定期購読のお申し込みは下記までお願い致します。
浜松百撰 静岡県浜松市佐鳴台5ー1ー10 
TEL.053-451-6607 FAX.O53-451-6609
E-mail h100sen@h6.dion.ne.jp




足立典正自宅:
〒431-0102 静岡県浜松市雄踏町宇布見600-47
電話&ファックス 053-596-1523
携帯電話 090-8470-8207

足立典正アトリエ:
〒431-0102 静岡県浜松市雄踏町宇布見8220

足立典正氏

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